地域と共に築く未来なんばエリアの求心力向上への挑戦

地域と共に築く未来なんばエリアの求心力向上への挑戦

人口減少やめざましいIT化の進展等、取り巻く経営環境の変化が一層激しさを増す中、
南海電鉄は将来における成長の実現に向け、着々と事業の拡大を図っている。
視界にあるのは常に、地域と手を携えての発展だ。
進行中の基幹プロジェクトにおける一人の技術系メンバーともう一人の事務系メンバーの姿を通じ、
南海電鉄の躍進の中核にある、まっすぐな想いに触れてみたい。

  • 営業担当
    喜田 恵里Kida Eri

    プロジェクト推進室 難波開発部
    2002年入社

  • 技術担当
    福井 良佑Fukui Ryosuke

    プロジェクト推進室 難波開発部
    2010年入社

新南海会館ビル
「なんばスカイオ」
プロジェクト

まず、解体工事で深まった近隣とのコミュニケーション。

まず、解体工事で深まった近隣とのコミュニケーション。

2014年10月。福井良佑は異動の辞令を受けた。行き先は難波開発部。当時の南海電鉄は、2007年4月のなんばパークスオープン、南海ビル(高島屋)改修、なんばガレリア整備、難波駅改修、フレイザーレジデンス南海大阪建設、なんばCITY改修、Zepp Osaka建設、南海なんば第一ビル(大阪府立大学・南海本社)建設となんばのまちづくり推進に向けて、ひしめくビッグプロジェクトを次々に完遂。その集大成となる南海会館ビル(旧本社ビル)の建替に向け、解体工事に着手したばかりだった。福井には、その建替プロジェクトを推進する難波開発部の技術担当メンバーとしての大役が用意されていた。
心境は複雑だった。それまでの施設部沿線担当としての仕事に深い愛着を持っていたからだ。和歌山市駅の駅舎建替を含む活性化プロジェクト、なんばEKIKANプロジェクト、泉大津駅高架化プロジェクトなど、複数のテーマを担当。鉄道というしっかりと張った根っこに支えられ、長期的視野に立ったまちづくりがしたい。そんな想いで入社した福井にとって、やりがいを実感できるフィールドだった。とはいえ、南海電鉄が地域と心を一つに進めるなんばのまちづくりの一翼を担えることへの期待や、大手ゼネコンと組んで、なんばの新たなフラッグシップとなる最新鋭のビルを建設することへの技術的な関心は大きい。すぐに気持ちも切り替わり、解体工事の管理と、新たなビルの設計内容の検討に明け暮れる日々が始まった。
当初は漠然とながら、経験豊かなゼネコンには発注側担当者の助けなど無用だろうと考えていた。ところが、安全面や騒音・振動などによる問題が一つでも生じると、福井が動いて解決に導くまでの間、現場で働く何百人もの手が止まり、多大なコストと貴重な時間がムダに費やされてしまう。事前の対策、周囲の理解を得るためのコミュニケーション…。準備に完璧はなく、やるべきことは無数にあった。約11か月後、ビルが更地に姿を変えて、「難しい条件の中で、よくやった。」と、上司にねぎらいの言葉をかけられ、やっとスタートラインに立てたことを実感した。

新たな施設の立ち上げを熟知した営業担当が参画。

新たな施設の立ち上げを熟知した営業担当が参画。

解体完了を目前にした2015年8月、喜田恵里がプロジェクトに加わった。入社14年目。営業・リーシング担当としてなんばCITYのリニューアルを支えた後、南海商事に出向して、東急不動産との共同事業“ekimo(天王寺・なんば・梅田)”やN.KLASS三国ヶ丘の立ち上げ、N.KLASS住ノ江プランニングへの参画などを経験してきた。立ち上げの苦労なら痛いほど知っている。同時に、自分が関わった空間に人が集い笑顔が生まれる喜びも知っている。しかも今回は、新しく切り替わったばかりの中期経営計画「深展133計画」の3つの基本方針の一つ「なんばエリアの求心力向上」を実践するための基幹プロジェクトだ。アサインされたことを意気に感じ、完全燃焼を目標においた。
2015年9月、いよいよ新しいビルの建設がスタートした。オフィス、ホール、商業施設を備えた複合ビルだ。関空へのアクセスの良さを活かし国際交流拠点となるべく、インフラ途絶による帰宅困難時にも72時間在館できるなど全国屈指のBCP対応機能、各種商業・金融店舗に加え医療施設やコンベンションホールをビル館内に備えた高い利便性などがプランニングされている。
福井は設計内容の検討において、そうした長所を大切にするとともに、中高層階の植栽に対しメンテナンス面を危惧する社内の声に耳を傾け、他事例をヒアリングにいって不安を払拭するなど、必要以上の変更を加えないよう心を砕いた。 一方、喜田は、リーシング活動などを通じて企業や生活者のリアルな声をできる限り吸収。それをもとに、チームのメンバーと力を合わせてコンベンションホールのコンセプト・営業形態や、全館の警備・清掃・設備メンテナンスその他管理運営のしくみなどを構築。目指す管理運営を実行できるよう、福井たち技術チームや設計者と綿密な調整を重ねた。設計の細部についても、入居者視点に立ってブラッシュアップ。テナントが決まり始めると、今度は個別の要望とハードのスペックが整合するよう新たな調整に取り組んだ。
建設段階にも音や振動が懸念される局面があり、福井はその事前準備にも奔走。説明会を開いたり、想定される騒音を擬似的に聞いてもらったり。関係者の理解と協力に向け誠意を尽くした。喜田は喜田で、諸々の調整ごとに並行し、ビルの名称を決めるための「ネーミング総選挙」をインターネット上で実施。その結果を受け2017年11月に「なんばスカイオ」という名称が決まると、「世界の空=スカイと、地球やOsakaを象徴する「O」を、輝く未来へと羽ばたくの翼で繋げる。世界中の人々がこの大阪に集い、つながって、大きな「輪(O)」が広がる場になっていく」という名称の意味やロゴのイメージに託して、ビルのコンセプトを広く発信するPR活動も推し進めていった。

深まっていく仕事の手応え。見えてくるまちの未来。

深まっていく仕事の手応え。見えてくるまちの未来。

ビルがその全貌を現し始めると、設計担当にも営業担当にも、自らの仕事の価値がより鮮明に実感されてくる。
福井には、このビルがなんばのまち全体に与えるインパクトの大きさを改めて感じる機会が多く訪れるようになった。一つの例が「なんば駅周辺道路空間再編計画」である。この計画は、なんば駅前の広場などを歩行者優先のホスピタリティあふれる空間に再整備するというもので、2016年11月には社会実験が試行された。実験は成功裏に終了したが、その後も福井は地元との協働による空間再編計画に積極的に参加している。
将来的に空間が整備されれば、なんばの駅前にはより多くの人々が集い自由に楽しむ空間ができる。人々が見上げる空にはなんばスカイオがそびえ、なんばスカイオがなんばの街の新たなシンボルとしてまち全体に大きな効果を及ぼす。そうした光景を、福井だけではなくまちの人々が大きな期待を寄せて楽しみにしてくれている。なんばスカイオの成功が、なんばエリアの求心力向上につながることを確信でき、地道な日々の調整ごとにも一層の張りが生まれた。
喜田の目に見えてきたのは、なんばに上質のオフィス空間を生み出すことの意義だ。関空とのアクセスの良さを評価するグローバル企業の多くは、働き方改革や健康経営に前向きだ。なんばスカイオは、周辺に商業施設や映画館など文化施設が集積し、館内には人間ドックや健康診断といった医療サービスも行う病院を誘致している。こうしたオフィス環境をしっかり活かせる企業がなんばに集まることで、まちに新しい賑わいと多様性がプラスされる。はるか以前に未来を予測して計画され、以来数え切れないほどの人たちが関わってきた南海会館ビル建替プロジェクト。その総仕上げに携われる自分はなんと幸運なのだろう。きちんとたすきをつなぎ、こめられた想いを周囲に表現・発信して、成果につなげていかなければ、という責任感も日に日に大きくなっていった。
こうしてプロジェクトは今、いよいよ大詰めを迎えている。福井は、駅側やなんばCITY側に大きく張り出していた工事の囲いを徐々に縮小。仮歩道から新たな動線への切り替えに神経を遣うことが増えた。喜田は、各テナントの内装工事のスケジュールの組み立てに四苦八苦の毎日だ。工事車両の乗り入れには制限があり、スケジュール表はパズルのように埋まっていく。一つでも工程が遅れるとパズルが総崩れとなるため、施工管理の担当者と連携してのやりくりは常に真剣そのものだ。メンバー一人ひとりの創意工夫の積み上げで、ゴールまでの距離はじりじりと詰まっていく。福井、喜田に共通した課題として、管理運営体制の徹底したつくりこみも続いている。
まもなく訪れることになる竣工の時。福井も喜田も、そこに、全員で一つの事を成し遂げた感動と、笑顔あふれるオープニングの賑わいを見守る喜びが待っていると知っている。だからこそ、びっしりのスケジュールをこなしきる力もわいてくる。竣工を境に動き始める新しいなんば。そのさらなる変貌に向けて、そして、沿線全域の発展に向けて、南海電鉄の挑戦はこれからも続く。

※本内容は取材当時の情報です

インバウンド需要のさらなる獲得への挑戦インバウンド需要のさらなる獲得への挑戦